++ 円山公園 ++
― 由来 ―
平安の昔、今の円山公園一帯は一面真葛やすすきなどが生い茂り真葛ヶ原と呼ばれていました。

鎌倉時代、慈円僧正が
「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛ヶ原に風さわぐなり」(新古今集)
と詠んでから一躍和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。
江戸時代に入ると安養寺塔頭の六阿弥(左阿弥などいずれも何阿弥と称した六坊)が席貸を始め、
次第ににぎやかさを増してきました。
 この頃から「慈円山安養寺」の「円山」がこのあたりの呼び名となったと伝えられています。
明治19年10月、京都府は円山一帯を公園地に指定し、同22年市制が施行されると同時に
京都府から京都市の管理に移されました。この後何度か拡張工事を行い、
大正2年、平安神宮神苑をはじめ無鄰菴、碧雲荘などの名園を作り出した造園家、
小川治兵衛氏の手により中央に池を配した回遊式日本庭園に造りかえられたのが現在の円山公園の姿です。

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